平成24年5月10日から12日の2泊3日の日程で岩手県へ視察兼ボランティアのために熱海市議会民主党・市民クラブ議員団の皆さんと共に伺いました。
遠野市は、昨年6月の被災直後に、静岡県議会の民主党・ふじのくに県議団として視察しており、今回2度目ということになりますが、あれから約1年状況はどのように変わっているのか、現地の皆さんからお話を直接伺わせていただきたいということで実施しました。
そして、今回のもうひとつの目的は、ボランティア活動、なかなか公務が重なり、「視察」には行くことを調整できても、ボランティアの時間が取れないことが、大変気になっつていて数ヶ月前から5月の連休明けくらいにと考え、実施に至りました。
まずは、遠野市の沿岸被災地後方支援につきまして、おさらいも含めて要点をご報告いたします。
その前に、今回い一緒に視察ボランティアに参加した民主党・市民クラブ議員団の皆さんは、山田治雄市議・金森和道市議・小森高正市議・鎌田武俊市議の皆さんで私を含めて5名の一行、遠野市と山田町を中心に視察を行い、ボランティアは「遠野まごころネット」に申し込みを行い登録しました。
ボランティアにつきましては詳しく後日ご報告致します。
さて、遠野市では、及川増徳遠野市副市長さん、菊池保夫総務部長さん、宮田実議会義務局長さん、沖舘譲議会事務局次長さんにお忙しいなか対応していただきました。
昨年6月に遠野市に伺った際に丁寧にご説明いただいた、当時総務部沿岸被災地後方支援室長をされていた菊池保夫さんが、総務部長さんになられており、1年ぶりの再会となりました。
遠野市の沿岸被災地後方支援として~「縁」が結ぶ復興への『絆』~とサブタイトルのついた視察資料をいただき、「生かされた2度の訓練」についてご説明を伺ったのですが、遠野市は、内陸だからこその役割として、三陸地域の地震・津波災害に備えて、内陸と沿岸の中間地点に位置するということから道路網が整備された結節点となっている。
遠野市を中心とした半径50キロの円内に、沿岸の宮古市・山田町・大槌町・釜石市・大船渡市・陸前高田市、更に内陸部の盛岡市や奥州市までを包括しており、ヘリコプターで15分、陸路で約1時間の時間距離となっている。また遠野市の地質は花こう岩で安定しており、活断層がない災害に強い地域とされている。
沿岸で津波被害が発生した場合、支援部隊等を受入れ集結させ、各方面に展開すること、既存の遠野運動公園を臨時ヘリポート、野営地や駐車場として活用が可能なことを示している。
このことを受け、遠野市では、津波が来ない内陸だからこその役割を担うことを考え、後方支援体制整備の具現化に向け準備を始めた。
平成19年9月2日、岩手県総合防災訓練の実施が輪番制で巡ってきており、通常、開催自治体が地震等により甚大な被害を受けたことが想定実施されるが、これまでの資料収集と構想の骨格部分の検証材料にすることを目的に、今までの訓練と考え方を変え、沿岸部への医療救護訓練と救援物資輸送訓練を併せて実施することにしたという。県内87機関、人員8,746人の参加、協力により、後方支援の有効性と遠野市の優位性の検証がなされている。
ちなみに、遠野市の東日本大震災での被害総額は32億円で、市役所本庁舎が被災し、私が昨年伺った時には倒壊の危険性のある庁舎は手つかずの状況でした。
後方支援活動の始まりについては、東日本大震災の地震発生からおよそ11時間後の12日午前1時40分に遠野市災害対策本部に一人の男性が飛び込んできたことから始まったということでした。
男性は、通信手段が途絶えたなかで何とか助けを求めようと、大槌から二つの峠を越えてきており、遠野市はすぐさま物資の調達を行い、同日午前4時50分に消防職員が現地へ向かったという。
職員の報告の第一声は「言葉になりません・・・」の一言で、このあと本格的な後方支援活動がスタートしました。
遠野市一丸となっての支援活動が展開され、情報共有のために紙が張り出され、職員集会は毎朝・夕の2回行われ、本部では昼夜を問わず情報収集にあたっていた。
平成24年4月末現在で遠野市に寄せられた支援金、寄付金は1億5,861万2,931円となっていました。
現在、後方支援プロジェクトが進められており、「医」・「職」・「住」による被災者の生活再建支援が進められています。
※画像は、向かって右から鎌田市議・宮田議会事務局長さん・小森市議・山田市議・及川副市長さん・橋本・金森市議・池総務部長さんです。
皆様、色々ありがとうございました。