平成27年1月17日、午前11時から尾崎紅葉筆塚祭が春日町志ほみや旅館前の筆塚碑前にて開催されました。
この筆塚には尾崎紅葉先生の愛用された筆が祀られており、紅葉先生が詠まれた句が刻まれた記念碑が建立されています。
この石碑には「暗しとは 柳に浮きな あざみどり」と刻まれています。
筆塚祭は、紅葉仙人筆塚保存会と桃山町、東田原町、桃山台町、田原町、田原本町の5つの各町内会により毎年行われています。
筆塚は、昭和7年、志ほみや旅館前に建立され、現在のお宮の松あたりにあった横磯海岸の自然石を使い、紅葉が愛した筆を祭っています。
昭和29年には句碑が建てられ、碑文は金色夜叉の主人公・貫一のモデルといわれる巌谷小波氏が揮ごうしました。
神事では玉串を捧げて、明治の文豪であり、熱海温泉の名を全国的に広めた紅葉先生のご遺徳をしのびました。
筆塚祭終了後、仲見世商店会で「貫一・お宮鍋」が振舞われ、私たちも列にならんで温かい海の幸と山の幸のお汁をいただきました。
午後1時からは、東海岸町のお宮の松横にて熱海市主催の紅葉祭が執り行われ、尾崎紅葉先生の遺族を代表された方々が参列されました。
遺影に献花をささげた後、熱海芸妓置屋連合会による寸劇が行われ大勢の観光のお客様を楽しませました。
明治30年から35年の6年間にわたり読売新聞に金色夜叉が連載されたことで貫一とお宮の別れのシーンが大変話題となり、二人の行く末に日本中が熱狂し、以来この作品により、熱海の海岸が全国に知れ渡り、熱海の海岸は国民の憧れの地となりました。「貫一がお宮を足蹴にする別れのシーンがこの1月17日の夜シーン」であることから、この日が紅葉祭となりました。
紅葉先生は、明治36年35歳でその短い人生を閉じられました。以来111年の年月が過ぎたのですが、今日の熱海温泉発展の礎を築いた恩人であります。
先生のご遺徳を心から偲び、さらなる熱海の発展のため、先生の作品「金色夜叉」心にいつまでも大切にしていきたいと思います。