東日本大震災に伴う福島第一原発の事故により、富岡町は全域が警戒区域に設定され、区域外への避難を余儀無くされました。富岡町内にあった4つの小中学校は、警戒区域外の約40キロ離れた三春町の民間工場(曙ブレーキ)の旧管理棟を改修し、4校まとめて仮設の学校を開設しています。昨年9月の開設当初は、震災前の富岡町の児童生徒約1500人に対し、集まったのは67人でした。原発事故での避難に伴う小中学校の仮設校舎設立の現状を視察させていただきました。
震災前の富岡町は、人口15,755人6,032世帯(平成21年度現在)
学校の概要としては、(平成21年5月1日現在)幼稚園3園(10学級)、小学校2校(40学級)、中学校2校(21学級)、県立高等学校1校(9学級)、県立養護学校1校(31学級)
静岡県内の受入避難者数は、福島県から864名で、そのうち富岡町からは約60人、30世帯の受入れ状況です。
富岡町庄野冨士男教育長さんからの説明では、三春校の生徒推移は、23年9月1日で67名、3月23日には90名になるも、卒業もあり、24年4月6日では79名、10月18日現在で85名の生徒数であるということです。
児童数に比べて教員の数が多く配置されていて、教師が児童一人一人の良さを見つけ、その良さを伸ばすことが今まで以上に可能になったということや登下校の出迎え見送りと全員の名前の周知をおこなっていることをお聞かせいただきました。
また、心のよりどころとして、転入した児童が本来の自分を取り戻して明るく元気に登校すること、各地に区域外就職した児童生徒が三春校の先生に面会や高校合格の報告に来校再会していることが、児童生徒や町民の心の支えになっているというお話も伺いました。
そして、多くの支援として、土を使わずに水と光の養分で栽培し、放射線や害虫の心配なく収穫、洗わずに食べることができ、自分で種を撒き観察、収穫、飲食ができること、また、ボランティアの留学生や学生との交流についても説明がありました。
さらに「フレンズ」というプログラムの実施については、絵を描いたり、ゲームや楽しい活動を通じてレジリエンス(困難を跳ね返す力)を育むといったことを実施し、不安やうつ、ストレスで起こる問題行動を予防し、子供達が、幸せな生活を自ら築く支援をする。これは保護者や先生にも効果的であるということでした。
遊具や義援金、支援物資の等の寄贈、宿泊体験などもあり、放射線教育の支援もあるという、しかし、他の先生から、大まかなものはほとんど間に合うが、例えば理科の実験教材等、中にはまだ十分ではないものも実際はあるということでした。
今後の課題として、特別教室、職員更衣室等の不足、職員室の狭さ、体育館、理科室、家庭科室等の借用など。
学級数の減少として、今年度入学児童がゼロだった。来年度は3名くらいの予定。児童生徒が楽しいと思える学習環境。口コミマスコミを通じて町民へアピール。ということや、
先行きが見えない不安として、国の方針が定まっていないこと。仮の町構想、三春校の存続、職員の不安、職員の転出、転入職員の確保などがあげられていました。
現在、5台のスクールバスを活用して送迎を行い、長い子供は約1時間近く乗るという。
移転による工事等も国の補助ということでしたが、グランドを5センチ剥ぎ取る除染や、消防法による工事など、約8000万円がかかったということです。
県と通して事業計画を出す予定ということでしたが、この辺りも国は規制緩和をし、簡略化を行うとともに、復興財源の活用が問題になっていますが、被災地の子供達の環境整備、特に教育については、もっとスピーディに対応しなければと感じました。
教育長は、三春校開設にあたり、多くの方からお叱りをいただいたということを教えてくださいました。もっと早く再開してくれれば、すでに転校し慣れ始めていること、仕事や住宅の問題、今更戻れないという切実なこえや放射能の心配などが多かったということでした。
今、復興予算の使われ方が問題になっていますが、画像の通り、先生方は狭い職員室のなかで、ご自分の荷物を置くペースもとれない状況が窺えました。早急にこのような状況は改善しなければなりません。
今回の視察にあたり、富岡町教育委員会の皆様、そして教職員の皆様、関係各位の皆様に心から感謝と御礼を申し上げます。園児と生徒の皆さんや先生方の環境改善にできる限りのことをして参りたいと思っております。