平成22年4月4日(日)丹那隧道工事殉職者慰霊祭として丹那神社例祭が行われ参列して参りました。
2日に行なわれた感謝祭と慰霊祭とは別に本日は丹那神社奉賛会が主催ということで地元近隣の町内会の皆さんも協力して毎年出店等を出店し、賑やかに開催されました。
また、熱海笛伶会の皆さんも笛や太鼓の演奏でお祭りに花を添え、熱海鉄道同好会の公開運転会も例年通り行われ大勢の子どもたちが取り囲み楽しそうでした。
まず、丹那神社前の上拝殿にて雨宮治興宮司さんにより神事が厳かにおこなわれ、玉串を奉てんせていただきました。
そして、神事後はご来賓の挨拶があり、奉賛会名誉会長となっている仁杉巌・元国鉄総裁がご挨拶され、国鉄に昭和13年に入り、建設担当ということから長きに亘り新幹線等も名古屋担当の経緯や、その後国鉄総裁、建設公団総裁を歴任され鉄道と離れられない生活を贈られてきたということを伺い、今年で95歳とお聞きし大変お元気なことに対し参列者から歓声があがりました。当時の鉄道トンネルの大事さをお話しいただき、そのなかでも明治の初めから建設が始まり、明治の終りから大正にかけて本格的になってきて、丹那トンネルは大きく画期的な工事で最近では進歩していてシールド工法が主で比較的簡単に行っているのですが、この丹那トンネルもその工法を使った工事が行われたといいます。16年の年月がかかった難工事だったがなんとか先輩達が作りあげてくれ、この丹那トンネルは67名の尊い犠牲者のもとに熱海と日本の発展に大きく寄与し、日本の鉄道建設史における非常に大事なものであると考え、その後、鉄道は分割民営化され、丹那トンネルのお祭りも管理が途絶えた時期がありましたが、元と奉賛会の皆様が再開してくれました。今後は鉄道関係者ももう少し参加ができるよう努力したいとお礼とお祭りのご挨拶を述べられました。
1921(大正10)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生、多数の犠牲を伴う大惨事となりました。
坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなりました。関係者を先頭に必死の救援活動もむなしく、8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われ、尊い人柱になってしまったのです。
同年6月26日、鉄道大臣をはじめ、関係者400余名により慰霊祭が挙行されました。
丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られましたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っています。
なおその後、1924(大正13)年の西口の湧水事故や1930(昭和5)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故による犠牲者も合わせ合計67柱の英霊を祭神として祀っています。その他の祭神は、大地主命(おおとこぬしのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)、手力男命(たじからおのみこと)、豊岩門戸命(とよいわまどのみこと)、櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)です。毎年4月第一日曜日に、奉賛会の手により、例祭が挙行されています。