2月9日午後1時より熱海市上宿町の湯前神社において湯前神社秋季春季例大祭宵宮祭が執り行われました。
さて、宵宮祭の関係の報告の前に、昨日の大雪の状況については、このブログやfacebookで情報発信させていただきましたが、大きな災害や事故は、幸いにも起こりませんでしたが、熱函道路では、事故等も重なった様ですが、大型車輌や一般車両の乗り捨てが起こり、この車両が通過の妨げになったという土木事務所からの報告もありました。
天候による不可抗力とはいえ、無理な判断と情報の欠如から、積雪の状態が分からずに他の車輌に迷惑をかける事態になってしまうというこは十分に気をつけなければと思うと同時に、その情報を県も市も速やかに周知しなけてはならないと感じた次第です。
さて、宵宮祭神事は雨宮盛克宮司さんにより滞りなくおこなわれ、若林正湯前神社奉賛会長の挨拶につづいて私も来賓としてご挨拶させていただきました。
残念だったのは、この宵宮祭に、市長さん、議長さん、議員の皆さんが誰も参列されなかったのですが、何か他にイベントか公務があったのかもしれません。
いずれにしても、熱海の歴史は温泉の歴史でもあり、温泉の繁栄は熱海の発展・繁栄に繋がるのもであり、しっつかりこの歴史ある熱海の温泉を大切に守っていかなければなりません。
明日はこの湯前神社の参道にある「大湯」の間歇泉でお湯を汲み神社にお供えします。その「大湯」の間歇泉について少し触れておきます。
「大湯」の間歇泉は、古来からの間歇泉で世界的にも有名な自噴泉でありました。
「大湯」の噴出は、大正初期までは定期的間歇泉として規則正しく大量の湯けむりを噴出し昼夜6回で、湯と蒸気を交互に激しい勢いで吹き出し、その壮観をうたわれていたということです。
大正12年の関東大震災を境として噴出が不規則になり、翌13年に遂に止まってしまったこと市史に記されています。
昭和37年に人工的に噴出する間歇泉として整備し、現在では4分毎に3分間噴出しており、市の文化財として保存し、現在に至っています。
慶長9年に徳川家康公が熱海に湯治してから、毎年定期的に江戸城本丸、西の丸に熱湯を汲んで献上したお湯の行事にのっとり、熱海温泉観光行事の一つとして毎年2月10日と10月10日に献湯祭が行われています。
さて、私の挨拶で触れさせていただいたのですが、現在県では観光アクションプログラムという観光施策を進めています。
伊豆や熱海に多くのお客さまに来ていただけるよう更なる施策の推進に努めていかなければなりません。