2013年連合静岡伊豆地域協議会主催のファミリーメーデーが快晴もと稲取の伊豆アニマルキングダムにて開催されました。
式では連合静岡伊豆地域協議会相馬議長のご挨拶のあと、連合静岡の吉岡会長、渡辺周衆議院議員、榛葉賀津也参議院議員の挨拶に続いて、県会議員として私も挨拶に立たせていただきました。また、地域の連合静岡伊豆地協の推薦議員の市議町議を代表して、四宮伊東市議と先日再選された星野西伊豆町議のご挨拶がありました。
以前にも記しましたが、メーデーの直接のきっかけは、1886(明治19)年に、アメリカの労働組合が5月1日に、8時間労働日を要求して起こったゼネストからでした。
1890(明治23)年の第1回国際メーデーは、“闘いの日としてデモをする日”としてはじまっています。アメリカ・西欧・中東欧・オーストラリア・ラテンアメリカなどの各国の組織労働者は、8時間労働日の実施という具体的な要求をして、団結してストライキとデモに立ちあがりました。
第2回メーデー以後に、日本でも戦争反対・平和擁護など社会的、政治的要求を結合して闘われるようになりました。
日本のメーデーは、国際的なメーデーから遅れること30年後の1920(大正9)年に、はじめられました。5月2日、会場となった上野公園には1万人あまりの労働者が集まり、最低賃金法の設定で3項目の決議が朗読されました。
その後も、治安維持法や不況と弾圧の下で闘うメーデーは続けられました。しかし、日本が戦争に突入した(37年の「日中戦争」)ため、ついにメーデーの開催は禁止されてしまいました。
敗戦後の第1回メーデー(第17回)は、1946(昭和21)年でした。その集会は、北海道から九州まで全国各地で行なわれ、参加者は戦前とは比較にならない人数に上りました。
忘れてはならないメーデーがあります。52年の対日平和条約・安保条約発効、日本の独立の3日後に開かれた第23回メーデーです。一部のデモ隊員が皇居前の広場に入り、解散しようとした矢先に警官隊が撃ったピストルで多数の死傷者を出す「血のメーデー」となったのです。
このような歴史を乗り越え、盛大な労働者祭典として定着してきたメーデーですが、昨今、大型連休のさなかのメーデーに、「休みを奨励している労働組合が連休中に動員を要請するのはおかしい」といった意見が出されるようになりました。
連合でも、その日程を変更され、2001年から、中央メーデーは連休前日に開催されています。
メーデーの今日的課題には、パートなど未組織労働者の組織化、中小企業労働者の格差是正、不況を克服し雇用創出をはかる、すべての労働者の賃金引き上げと男女均等法定着などがあります。
また、国際的な労働基準の確立、安心、安全に暮らせる社会保障制度の実現、平和、人権、環境など国民的安全の保障を求める運動の拡大などがあげられます。
式の最後には参議院選挙の必勝決議、メーデー宣言案が読み上げられ決議されました。
働く姿を子どもたちに見せることももちろん大切ですが、この日はファミリーメーデー、親子や家族の絆を深める良い一日となったことと思います。