平成23年6月7日、山田町の報告と前後しますが、視察2日目午前9時に岩手県遠野市にある静岡県支援調整本部と遠野災害ボランティア支援センターにより、静岡県現地地支援本部第11次隊の野村秀樹隊長はじめ、隊員の皆様から状況を伺いました。
11次隊は今回は25名で、県と市町で半分づつの状況、各市町と県と国の調整など、また、県内の企業からの要望など各市町と協議し、調整したりしていて、3名がずっと常駐している。
遠野市班があり、ここから車で5分のところに物資支援センターがあり、来場された方々に物資を、遠方から方々に、遠野市自体はあまり被災していない状況ですが、沿岸部の車で1時間2時間かけてくる方に、もちろん現地でも物資を避難所へ配っているが被災したかたは避難所だけではなく、親戚や色々なところへ行ってるので、その方たちが来て物資を受け取る支援をしている。
また、大槌町の窓口や現金事務、義援金窓口のほか大槌町班は6月18日の合同慰霊祭の準備作業、6時半にここを出発、8時着、帰りは夜7時半から8時半にもどる。土曜日曜も業務で避難所名簿の更新や集積所支援等を行っている。
山田町班は片道2時間半かかるので、宿泊施設設けていただき畳の部屋で寝泊まりしている。運営事務、災対本部、建設課、税務課、健康福祉課、下水道課、町民課に各1名から2名が支援している。
また、磐田市さんが2名出してくれているが、過日磐田市長さんが来られてあまりに酷い状況で2名出してくれて強力な支援体制をしてくれている。
遠野市は大きな被害はなく、唯一市役所の建物に亀裂が入り被災した。
この状況説明終了後、隣接している遠野災害ボランティア支援センター「遠野まごころ寮」の様子を拝見させていただきましたが、静岡県のボランティア団体などでつくる「東海地震に備えた災害ボランティアネットワーク委員会」「震災がつなぐ全国ネットワーク「日本財団」の3者の共有施設で、運営はNGO協働センターがあたり、半年を目途としている。
遠野市沿岸被災地後方支援室
遠野市では総務部沿岸被災地後方支援室の菊池保夫室長さんと小向浩人次長さんにお忙しい時間を割いて対応してくださいました。
菊池保夫室長さんから、3月28日に特化した後方支援活動のための対策支援本部を正式に立ち上げ、私たち2人が中心となり今日に至っている。
取り組みを説明させていただきますが、その前に岩手県として、また遠野市はもちろんですが、地震の危機管理には静岡県の職員の皆さんの意識の高さ素晴らしさを感じました。
基礎自治体の職員、たぶん岩手県の職員も勉強になっていると思う。静岡県さんには19日から入っていただいてますが、山田と大槌町が大変で、そこを中心に、一番近いところは遠野だと、遠野に現地対策本部をつくらせてほしいと話がありました。正式には26日、知事さんが来られ、活動を始めていただき、そういう意味では静岡県さんには大変感謝しています。とご挨拶いただきました。
沿岸に津波の襲来に備え遠野は後方支援の拠点として訓練してきた。
平成19年は岩手県の総合防災訓練、平成20年はみちのくアラート2008の訓練、2年連続で遠野に集結してやりました。自衛隊、警察、消防隊がだまってても遠野に来て拠点構えて展開しているという状況でした。
遠野市は地理的に沿岸線に国道が出ているので拠点として訓練の成果が発揮されたと思う。
3ヶ月が過ぎ、復旧より復興の舞台が揃いつつあり、静岡のボランティア団体、神戸のNGO等民間中心となり来ている。
仮設住宅やライフラインは企業や官が進めている。
発災当初に軽トラ10台、大槌、山田に配置いただき、1台はこの遠野で家屋の整備の車両として使わせていただいて感謝している。
平日は200人、ゴールデンウィークは600人~700人近く方々が結集して遠野から大槌に行った。
19年20年にイメージトレーニングをしていたため、結集が早かった。3500人が運動公園に結集した。地の利が良いこともある。
協議会は沿岸の9市町村と遠野市が組み、遠野市長の発想で、後方支援施設整備という形で進め、施設は遠野運動公園を拠点に使い、総合庁舎をつくろうとした。今年の3月から着工。その他に多目的施設をつくり、避難所、物資センター、大部隊の時は本部機能を果たすように、そんなことに。平時は体育館として使う計画進めてた。もうひとつ、道路作ってくれと言ってもなかなか厳しい国も県も、道路だけでは厳しいので命を守る道路という構想を基に整備をお願いした。理論武装して。県は体育館作りたいからだろうと冷ややかな対応だった。国土公通省がつかえるかもしれないと、社会整備交付金が該当になり始まった。国交省の社会整備交付金、昔のまちづくり交付金で施設を整備しようとしていたらば、人口3万の遠野市さんの事業ですか、岩手県の事業じゃないですか、岩手県がこういう抗争持つならわかるけれども、沿