4月6日(日)午前10時より丹那神社例大祭が熱海市梅園町の丹那神社及び丹那隧道工事殉職者慰霊碑の前にて開催されました。 この丹那神社例祭は丹那神社奉賛会が主催し、地元近隣の10町内会の皆様が協力して毎年焼きそばや豚汁等を奉仕し、町内子ども会も参加して賑やかに開催されおり、今年で20年目となりました。
また、熱海笛伶會、熱海鉄道同好会、大楠輦の皆さんがお祭りに華を添え、笛伶會のお囃子、大楠輦の皆様は今年新調したお神輿も披露され2基を担いで華やかに町内や駅前田原本町などを練り歩きました。熱海鉄道同好会の公開運転会も例年通り行われ大勢の子どもたちが取り囲んで模擬運転を楽しんでいました。
神事では、まず、丹那神社前の上拝殿にて雨宮宮司さんにより祓い言葉奏上、参列者は玉串を奉てんせていただきました。 そして、神事後は慰霊碑の前にて来賓の挨拶等があり、奉賛会名誉会長となっている仁杉巌・元国鉄総裁の友人であり、熱海市在住の元防衛大臣の久間章先生がご挨拶され、当時のことなどお話いただきました。
私も祝辞を述べさせていただき、丹那トンネルに犠牲者の中に韓国人や朝鮮人の方が含めれていることから、約12年前に日韓首脳会談が熱海市で開催された当時の関係者の話をさせていただきました。
殉職者慰霊につきましては、1921(大正10)年4月1日、丹那トンネルの東口工事現場で起工以来最初の大崩壊事故が発生し、多数の犠牲を伴う大惨事となりました。 坑口から300m(現在の熱海梅園内「香林亭」あたりの直下)の地点で、長さ約70mにわたって崩壊が起き、作業中の33名が生き埋めとなりました。
関係者を先頭に必死の救援活動もむなしく、8日後奇跡的に救出された17名を除く16名の命が奪われ、尊い人柱になってしまったのです。 同年6月26日には、鉄道大臣をはじめ、関係者400余名により慰霊祭が執り行われ、丹那神社は、このトンネル工事の犠牲者の英霊の鎮魂の意味を込めて、工事の守り神として坑口上に建立、当初「隧道神社」と命名されて現在地に祀られましたが、後に「丹那神社」と改称されて今日に至っています。
なお、その後、1924(大正13)年の西口の湧水事故や1930(昭和5)年の北伊豆地震による崩壊事故、その他の事故による犠牲者も合わせ合計67柱の英霊を祭神として祀っています。その他の祭神は、大地主命(おおとこぬしのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)、手力男命(たじからおのみこと)、豊岩門戸命(とよいわまどのみこと)、櫛岩門戸命(くしいわまどのみこと)です。毎年4月第一日曜日に、奉賛会の手により、例祭が挙行されています。
今年で20回目となったこの丹那神社例祭・丹那隧道工事殉職者慰霊祭ですが、地域密着行事として定着するまでに多くの関係者の努力がありました。