山田町災害ボランティアセンターに立ち寄り、状況を視察いたしました。
津波で流された写真等の汚れを洗い流し乾かす、どの地域で発見されたかなどの情報を記す作業のほか、主なものとしてはボランティア派遣受付、生活福祉資金の貸付などを行っています。
このセンターは、山田町の社会福祉協議会と静岡県の社会福祉協議会が連携しており、静岡から派遣のボランティアリーダーが説明をしてくださいました。
センター施設内でたまたま発見したのですが、熱海市泉の子ども会の激励の寄せ書きが入口におおきく飾ってありました。
熱海市の声援も現地に届いていて嬉しく感じました。
さて、昨日、山田町の視察の様子を報告させていただきましたが、
副町長の佐藤勝一様と危機管理室長兼情報チームリーダーの白土靖行様から伺った貴重なお話の要点を改めておさらいします。
現在、復興計画を策定中の山田町ですが、被災時の状況について実際の現場のお話を伺わせていただきました。
①消防車自体は被災した車両があったものの、火災に対して消火活動ができないわけではなかったが、津波による瓦礫で道路がはっきりわからずに消火活動ができなかったそうです。
つまり、津波によって壊れた家が道路を全面ふさいでしまったために、車両が走れない状況で、そのために消防車による消火活動が全くできなかったということでした。
消防団がホースを担いで消火栓を探し消火活動しようとしていたそうですが、まちの水源地も浸水、水を吸い上げることができないことから直接消火栓をつないだところで、配水地が地震と津波で被災し、水がなくなっていたそうで、この時点で活動はなすすべがなかったということが現実だった。という痛ましい状況を伺いました。
②また、県防災ヘリに消火活動をお願いしたそうですが、夕方ということもあり、日が暮れてしまう消火活動はできない・・・と断られたということは、夜間の被災についても十分に考え直さなくてはならないと痛感いたしました。
③そして、静岡県から10台寄贈された軽トラックについては「これは助かりました。」というお言葉をいただきました。
震災のいろんなことでごたごたしているわけのわからない状況下で、物資配給も公用車が被災していたことから、この軽トラが、大きな成果を残したようでした。
④また、被災の状況下で、そういう判断が被災している市町村にはできないということも認識しておくべきことと、市町村が被災しているということが県の計画にあるかどうか。これは静岡県の隊長と班長に毎回伝えてくださっていて、被災した市町村に対し求めるものではなく、自ら行かないといけないと静岡県の方にも話しているということでした。
⑤県の立場としては被災した市町に自ら出向く体制が必要。ということで、これは山田町が痛感したことと仰っていました。また、県の衛星防災行政無線のネットワークがうまくつながらず、県との連絡が途絶えた状態で、電話や携帯も使用できないということで、市町がその整備をするのなら、県が真っ先に支援してほしいということでした。
町から県に報告に行ける状況ではなく、避難所の対応が30数ケ所あり、手いっぱいだったと言い、水・食料・暖房、それが最初の1週間で必要だと感じたということです。
⑥4・5日して海上自衛隊がきて、何が必要か聞いた。毎回毎回一緒、いつ来るか回答がない。もういいと。今必要なのは今すぐ出せるリストだというと、一旦帰って2時間後にまた来た。
嬉しかった。リストを持ってきてくれた。この船で出せるリストだと。本当に涙が出るくらい嬉しかった。
食料と水を県がたとえ持ってきても、それだけでは自己満足。やはりそこには人が必要。
⑦報道などでいっていた「避難所に物が届かない」というのは、物資センターに物が届きすぎて、職員の対応ができないので遅れていたということでした。
まず何が必要か聞くような県ではダメで、県であれば市町村の人口をわかっているはずですので、何が必要かわかってなければいけない筈ということでした。
⑧水・食料・暖房が、一番必要であり、これは特に感じたということです。
⑨また、アマチュア無線が役にたち、109名の尊い命を救えた事を伺いました。
⑩避難している人が、海にまた行ってしまい流されてしまったということで、全員流され大変無念だった思いも聞かせていただきました。
⑪町としての復興の基本方針とすれば、まずは2度と命を落とすことのないまちづくり、2つ目は産業の復旧再生、3つ目は地域の絆、今月中に復興のビジョン作ろうとしていました。
5月23日は19か所、9月中に復興計画。年内まちとしての考えを示す。
被災地域は非居住地域にしようとして、建築制限が出てきます。沿岸部の被災の市町は同じ状況で国には直轄事業として欲しい。今打ち出されている財政的措置とすれば、阪神淡路の時は10分の8までいった助成制度。
財政力内から10分の9でも1割負担は出てくる。10年で復旧再生見込むとたとえば300億なり400億なりだと一般財源負担3~4億の負担出てくることが予想されるのですが、今の山田町の財政規模は70億、臨時調整収入は11億、交付税33億、税収減るなかで、はたして新しい山田をつくる財政運営できるかと言う不安が募る。
⑫国の平時の助成制度の適用では、非常時の戦後処理ともいえる状況のなかで、復興特区なりの新たなスキームをつくってほしい。高台移転計画。平地が少ない中で、山を切り開いて進めていく。
⑬先人の教えとして遺跡の箇所は被災していない。移転はそれぞれの地域のコミュニティー大事にしていく。
⑭まず逃げる。次に大声を出して逃げる。次にできることがあれば近くの人を手助けする。教訓。今回、狼少年と同じで、避難している人が海に行って流されてしまった。全員流され残念。
⑮逃げ遅れた。感覚的薄れている。避難警報は出ていたが、過去の経験が薄れていた。明治29年被害あった。昭和8年被害あまりなかった。高台に逃げた。テレビもラジオもない。
約1時間でしたが、これだけ多くの貴重なお話を伺うことができました。
私は東日本大震災が起きた時、網代公民館にいたのですが、テレビからの情報と言いますか、全国がどういう状況なのか、地震の規模はといった情報が欲しくテレビを見ていましたが、そのテレビを見ていた時間について、とっさの情報収集に何の疑問も持たずにいました。動揺したことは事実でしたが、その後、現場の方たちに避難指示を出さずに自宅に戻ってしまい、もしも津波で犠牲者が出ていたらと深く反省しています。
多くの人命を救助することは備えておかなければいけないことを今回改めて学ばせていただきましたが、静岡県も、そして熱海市も今一度しっかり防災対策を見直さなくてはなりません。