2014年連合静岡伊豆地域協議会主催のファミリーメーデーが稲取の伊豆アニマルキングダムにて開催されました。
心配された天候も画像の通り快晴、多くのご家族の皆様にご参加いただき、私たち議員も参列させていただきました。
約1300名の多くの参加者のなか、伊豆地協の相馬議長のご挨拶、連合静岡池冨会長の挨拶が述べられ、連合推薦議員の渡辺周衆議院議員、榛葉賀津也・藤本祐司両参議院議員が挨拶、続いて私もご挨拶させていただきました。
また、熱海市からは鎌田武俊市議が参加、市議町議を代表して、佐藤作行松崎町議がご挨拶しました。
伊豆地協のスローガン、「力を合わせよう!心をつなげよう!みんなの暮らしの底上げ実現のために」が相馬議長から読み上げられました。
以前にも記しましたが、メーデーの直接のきっかけは、1886(明治19)年に、アメリカの労働組合が5月1日に、8時間労働日を要求して起こったゼネストからでした。
1890年(明治23年)の第1回国際メーデーは、“闘いの日としてデモをする日”としてはじまっています
アメリカ・西欧・中東欧・オーストラリア・ラテンアメリカなどの各国の組織労働者は、8時間労働日の実施という具体的な要求をして、団結してストライキとデモに立ちあがりました。
第2回メーデー以後に、日本でも戦争反対・平和擁護など社会的、政治的要求を結合して闘われるようになりました。
日本のメーデーは、国際的なメーデーから遅れること30年後の1920年(大正9年)に、はじめられました。
その後も、治安維持法や不況と弾圧の下で闘うメーデーは続けられました。しかし、日本が戦争に突入した(37年の「日中戦争」)ため、ついにメーデーの開催は禁止されてしまいました。
敗戦後の第1回メーデー(第17回)は、1946年(昭和21年)でした。その集会は、北海道から九州まで全国各地で行なわれ、参加者は戦前とは比較にならない人数に上りました。
忘れてはならないメーデーがあります。52年の対日平和条約・安保条約発効、日本の独立の3日後に開かれた第23回メーデーです。一部のデモ隊員が皇居前の広場に入り、解散しようとした矢先に警官隊が撃ったピストルで多数の死傷者を出す「血のメーデー」となったのです。
このような歴史を乗り越え、盛大な労働者祭典として定着してきたメーデーですが、昨今、大型連休のさなかのメーデーに、「休みを奨励している労働組合が連休中に動員を要請するのはおかしい」といった意見が出されるようになりました。
メーデーの今日的課題には、パートなど未組織労働者の組織化、中小企業労働者の格差是正、不況を克服し雇用創出をはかる、すべての労働者の賃金引き上げと男女均等法定着など、また国の法案で審議されている労働時間規制の緩和があります。
会の最後には特別決議、メーデー宣言案が読み上げられ、決議され採択されました。