4月10日、渡辺周衆議院の実弟で秘書の渡辺迅さん、民主党熱海支部の松尾光貴幹事長と共に熱海市伊豆山の興亜観音を参拝いたしました。
平成18年の夏に細野豪志衆議院議員と共に参拝して以来の参拝で、8年の月日が経過していましたがご住職もお元気そうでした。
興亜観音は、日中戦争(支那事変)での日中両軍の戦没者を、等しく供養するために建てられた観音像です。
ここに建てられた観音像は、昭和15年2月、松井石根陸軍大将の発願によって、日中戦争(支那事変)での日中両軍の戦没者を“怨親平等”に、ひとしく弔慰、供養するために健立されたものです。
松井大将は、若いころから日中友好論者であり、蒋介石とも旧知の仲で、蒋介石が日本の陸軍士官学校に留学した際には、下宿の世話まで行い、蒋介石にとっては日本における父と呼んでいた人なのです。
ところが昭和12(1937)年8月、日中間で戦争状態となり、第二次上海事変の際に、松井大将は陸軍きっての中国通として上海派遣軍司令官として任命され出征を行ったのです。
激戦の末、当時の中国の首都であった南京攻略戦を果たし、翌年凱旋帰国、熱海伊豆山に居を構えました。
松井大将は戦いを通じて日中両軍に多くの戦死者が出たのをいたみ、彼我平等にその霊を弔うために観音像の建立を思い立ち、建てられたのです。
しかし、松井石根大将は戦後の東京裁判において、A級及びB・C級で起訴され、A級で無罪、しかし、いわゆる“南京事件”の責任を負わされ、昭和23(1948)年12月23日、殉国刑死されました。
境内には現在、昭和35(1960)年に吉田茂・元総理の筆による「七士之碑」が建てられ、東京裁判でA級戦犯として殉国刑死された七名の遺骨も葬られています。
ご住職から吉田茂元総理が参拝された当時の貴重な写真等を見せていただきました。
ご住職といろいろお話させていただいていた際にご住職から、ひとつ伺いたいことがあるのですがと、今の日本と世界の情勢から再び日本が戦争をおこなうような心配はないのかと。
この興亜観音をお守りいただいているご住職からの質問と受け止めると、あまりに重く大きな質問でしたので、少しどうお答えしていいか迷いましたが、「そうならないように私たちも努力しています」と応えさせていただきました。
ご住職は、ホッとした表情で「そうですか、よかった」と笑顔になってくださいました。